小菅村について

奥多摩山草園のある所は小菅川の畔です。
小菅と言う所は多摩川の源流域で、周囲は急峻な山懐に噛り付くように人が住んでいます。
と言う事は、お日様の良く当たる河畔は少なくて我が山草園も冬には日が当たらなくなります。
温室と言えども日が当たらないのでは温まりません。
以前はプラス2℃に暖房していましたが、今は加温する事を止めてしまいました。
外気温がマイナス13℃程になる当地では燃料代がバカにならないからです。
今から1ヶ月間は温室のガラス屋根に日が射す事はありません。
冬眠です。


  • 鳥や草木や虫たちは、大菩薩峠の雪解け水が川に流れ込む音で、冬の眠りからさめる。
    晴れた空の下、桜が花開くと村は自然を描いたキャンパスとなる。

  • 夏は命が輝く季節。
    山に川に生命エネルギーを放っている。

  • 秋は紅に染め上げた木々と山、空、川が織り成す壮大な織物。
    その眺めはまさに大作と呼ぶにふさわしい。

  • 白い静寂の中、枝に留まるオオマシコがひと際目を引く。

村の現状

この部分にお尋ねくださった方は山奥の村に興味をお持ちの方だと思います。
小菅村は本当に小さな村です。詳しい事は小菅村のホームページなどでご覧いただけます。ここでは私がこの村に転居して来てからの20数年の経験でお話してみたいと思います。

「小菅のへそ」と呼ばれる「三つ子山」からは小菅川沿いの村の中心部が一望できます。

村が抱える問題

  • 木が売れなくて山村が疲弊
  • 大家族制が支えた山の知恵の伝承が絶える
  • 希少動物も一定の数を割り込むと絶滅する

木が売れなくて山村が疲弊

日本中の山が杉桧で覆われてしまったことはとても不自然なことなのです。
戦後の復興期、建設用の材木不足と燃料としての薪炭不足のため、どんな山奥の木も伐った経緯があります。その上、紙の需要が高まってパルプ用に更に山奥が伐られました。
その為に台風などによる水害が多発して、今では信じられないほどの被害がありました。
そこで、国策として杉や桧などの植林が行われ、全土が人口林化して行ったと言う訳です。
当初、木は3・40年で売れるという歌い文句でしたが、外国産材の輸入と言う想定外の事が起こりました。国内産材は売れないと言う事が判ると山の手入れをする山主は居なくなり、日本の山は荒れ放題となりました。
折りしも、日本は高度成長期で工業化と都市集中化で一次産業従事者は激減して行ってしまいました。
山村は山仕事・製材・運搬と言った仕事が無くなってしまいましたが、辛うじて補助事業などの土木作業で食いつなぐ事になりました。人件費が安いと言う事で小工場が進出して、こんな山奥の村でもほとんどの人がサラリーマンになって行きました。
こうして日本中が山と田畑を荒らし、結果として自然が荒れ果ててしまったのだと思います。しかし、山里は山林産業が健全でない事には話にならないことは異論の無い事です。

勿論その間にはもっと色々な事情や要因が複雑に作用し合っている事は言うまでもありません。

そして、結果も複雑です。
その事はまた……いずれ。

大家族制が支えた山の知恵の伝承が絶える。

山里で生きていく為には町場の人には考えられない沢山の知恵が必要です。
生活を支える為の生業に関わる知恵。生活環境を維持する為の知恵。山社会を維持する為の慣習的な知恵。
都会暮らしでは必要な物は直ぐ手に入ります。また、専門家が直ぐ来てくれます。お金さえあれば、の話ですが。ところが山里では多くの場合、自己完結型で問題を解決していく必要があります。従って、木こり・百姓・大工・土木・屋根屋・水道屋と、なんでもそこそこ出来なくてはなりませんでした。
私は26年前に都会から移って来た「よそ者」です。そこで痛切に感じたことは「山里で暮らすために必要な知恵は一代で身に付くものではない」と言う事でした。
何にでも興味を持つ私ですが、身に付けることの出来た知恵の何と頼りない事か。この地に生まれて、何世代にも渡って受け継がれてきた知恵を伝承されて育ってきた地の人がどんなに羨ましいと思ったことでしょう。
日本では、少し以前は3世代どころか「曾(ひい)お爺ちゃん」「曾(ひい)お婆ちゃん」を加えた4世代家族が普通に存在していました。ここで受け渡される知恵こそ本物で、
都会人が山人に入れ知恵した事の何と浅薄で目先主義な事か。実際に暮らしてみてそう感じる今日この頃です。

希少動物も一定の数を割り込むと絶滅する。

希少動物も一定の数を割り込むと絶滅する
動物の絶滅に関する問題は遺伝学的考察が重要とのことで、少し違うかもしれませんが、山里人族にだって当てはまりそうです。
今、小菅村は人口900人を割り込んで、今後も人口減少は必至です。
もともと、地域を元気にする為にではなく、安い人件費が豊富ということが魅力で小さな工場が進出して来たのですから、人口が減少してしまってはその存在意義が無くなって当たり前です。
地方切捨て政策の影響もあって、昨今、小菅村ではめっきり働く場が無くなりました。
元来山里に生まれた人間は山の暮らしの心地よさを知っていると思うのですが、
都会生活にあこがれ、給与生活の安全性に魅了されて子供たちは元より大人までもが山里を離れていくのです。
小菅村はじめ近隣の地域には東京都の水源涵養林が有ります。そのため山仕事が多少有って、土木従事者がそちらに移行したようですが、人口の減少を止める力は有りそうも有りません。
第一、 山を先祖から受け継いだ人が自分の山の事をほとんど知らない人すら、増えて来てしまいました。
私有林の事は忘れ去られてしまったかのようです。人工林は手入れを怠ってしまうと、加速度的に荒れて行きます。自然林は自然の摂理で循環し秩序を保つのですが、人工林の放置は人にも自然にも沢山の問題を引き起こします。

かつて、山里人族が元気だった頃、多様性に満ち溢れていました。
生活の仕方が多様であれば仕事も多様性を持ちます。
楽しみ方や困難を乗り越える知恵も多様で、必然的に賢くならざるを得なかった事は容易に想像出来ます。
当然魅力に富んだ多くの人物が多いという事になります。少々無口で一徹で社交性に欠けるとしても、人間味に溢れた人種が山里人族だと思います。